昭和44年02月21日 朝の御理解



 御理解 第68節
 「神参りをするに、雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ。いかにありがたそうに心経やお祓いをあげても、心に真がなければ神にうそを言うも同然じゃ。柏手も、無理に大きな音をさせるにはおよばぬ。小さい音でも神には聞こえる。拝むにも、大声をしたり節をつけたりせんでも、人にものを言うとおりに拝め。」

 もうの通りでございますよ。結局はやはり身に徳を受ける修行じゃと仰られますから、だから身に徳を受けるという信心が焦点の御理解ですね。ですから身に徳を受けるという、まぁいうならおかげを頂きゃあいいというだけなら、こんなに難しい事を言わんでも、又はもっと楽な生き方をしてもいいのですけれども。これはどうでも神様がこういう信心をさせてもろうて、そういう辛抱をし抜かせてもろうて、身に徳を受けてくれよという御理解だと思います。
 これはこのままでしょうね。この通りです。確かにが降ろうが雪が降ろうが、そこん中を、の雨風をおかして、ご参拝のおかげを頂くという。確かに有り難いですね。その有り難いというのが、やはりあのうお徳になるんですね。お参りをしてお願いをして来るというのじゃなくて。その雨風の中を辛抱してくることが、そのうおかして来る事が、そういうひとつの元気な心というか、いうなら真実一路とでも申しましょうか。自分の真実をただ一筋に神様へ向けて来るという訳ですね。
 ですからやはり有り難いです。まぁ言い換えますと、神様が喜んで下さっておるという感じですね。神様が喜んで下さっておるのがやはり、こちらに反映してくるですね。どうして雨風の時をそのうおかして参る一心が、神様に喜んで頂くだろうかと。それでまぁ普通お参りができんでも、雨風の時だけ参ってくる人もあるくらい。これはどうかと思いますけどね。やはり普通の信心が出来ておって、様々な理由はある様々な事情はある。外に出てみりゃ雨だ風だといった様な中をね。
 中をおかしてそこんとこを突き抜けて、向けてくる心が私は真実一路だと思うね。真実一路の信心をさせてもらわないけません。先日昨日一昨日でした。ちょうど偶々企画の方たちが集まりましてから、今度正面の入り口のところの、まぁ門というですかね。入り口のところが今度きれいに、大祭前にという話が起こりましてね。そこへそのう御影石でしようか、タイル張りでしようかというような。ところがおかげを頂いて、今度ご造園の皆さんが一生懸命におかげを受けられたのが。
 まぁあとに電気が十何万かかるそうですけれども、それを払ってもタイルで張るぐらいならお金が余ったというわけなんです。それでまぁこの際さして頂こうかという話が起こりましてね。昨日もその事で菊栄会の方達、いろいろかそのういろいろ話し合いを致しました。それ前にまぁ段々ひとつ、あのうどういうようなものでするかということを、見といたらよかろうというので、ちょっと久留米のあのう中川建材店という、ここのご造営の時に、建築材料を殆どそこから頂いたというお店があるんです。
 私は知らなかったんです。先日からそちらの社長という方が参ってきましてね。もう七十いくつかのお婆さんです。それから副社長が娘さんで、もう五十から五十ぐらいになられる方でしょうね。私は向こうは知っておられるけども、私は知らんのです。どうして私が知らんだろうかと思うんですけれども。櫛原の教会のご信者さんなんですね。自分もここに自分ところの店から、こんな建材を治めたということを知っちゃないごたるふう。私も知らなかった。
 のでいろいろななんちゅうですかね、まぁもとの農学校の手前に中川というてあのう、セメントですねのね、なんかあげなんとが出来よりますよね。大きな設備をされましてから。そりゃまぁ大変な方らしいですよね。女ですけれども。それが私共が行きました時にゃその社長が上京中でおられませんでしたが、行く道々その正義さんが、私の運転の横に乗っており、おっていろいろ話して下さるのに、ほうやっぱおかげ頂く人は違うなぁち。もう昭和32年位の事だそうですから。ある大きな会社がつぶれたんですよね。
 そこにね900万という借財がでけとった中川建材に。そしたらそこの社長が言われる事がですね、書き物も何もとられなかったそうです。よかち言われたち。だからあぁた達が儲けちから払うて下さいち。やっぱりおかげを受ける人達は違いますね。もういいと。だから正義さんその話を聞いてから、中川っていう店は立派な店よ、店だというので自分もそこへ取引をしておるという訳なんですね。それはまたまけちもらうとか、引っ掛けるという気持ちじゃないですよっち。そういうその精神が。
 それで私は着かせて頂いて、応接間に通されましたから参りましたら、そこに大きな額がかかっておるのが、真実一路ということでした。真実一路と一郎という人が書いておるんですね。何一郎さんか知らんけど、一郎さんという人が書いてある、見事な額が上がっております。で私ご神前に出たらその時の額を頂くんです。真実一路ということ。だからそれがなら今日の御理解のどこの、何節にあたるだろうかと思うて、私いつものようにこう頂きましたら、ただ今ここで奉唱させて頂きました六十八節を頂くのです。
 ははぁこの六十八節のどのへんが真実一路になるのだろうかと私は思うた。どういうところが真実一路になるのであろうかと。それがここに頂きます、雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃ。その辛抱こそ真実一路なのだということ。なるほどこれなら徳を受けるはずだということが分かります。その時にそこの社長が見えてから、ここにあの奉納してここにあるお届けが、そのうあのう生コンクリーですか。
 あれをあそこに設備をする前にですね、ここにお伺いにみえたんです。もう中川の言われる事は、もうこれで私のもう一生一代の大仕事ですし、もうこれで中川がまた伸びるか、伸びないという境のごたる仕事を思い立っとりますが、まぁしてもよいだろうかというお伺いでした。そしてお許しを頂いてね、ご本部に参ってから、金光様にお伺いさしてもろうて後から言われるとですよ。ご本部に行ってから、あの金光様もいいって言われたんですね。それでもやっぱそれじゃ不安じゃったげな。
 それでもう一遍ちょいと合楽の先生にお伺いして頂いてからちいうて、そのう言われるんですよ。金光様のおっしゃった事が間違いがないと思うんだけれども、やはり念には念を入れられたわけなんですね。であの時分にあの廊下がこう水で白くなっておったりなんかしとったからね、ここんところ私共の建材を使こうて下さい、奉納させてもらいますから、まぁ取りにやって下さいといったような意味の事を言うておられましたけれども。こちらそげんお供えばもらいにゃいことは思いませんもんですから。
 同時にまた私しゃここの建材をそこから頂いておったのを知らなかったんですよ。そしてたまたまあの泉水を、あのうのおかげを頂く時に、あのう中川建材から買うてきたということを知ったら、そんならあんたこの頃からのう何回か参ってきなさった、中川さんっちゃあの社長さんの女じゃろうがといって分かったぐらいでした。で昨日おととい参りました時にもですね。そんな訳でございましたから、そのうまぁ合楽の先生が見えとって言うたんでしょ、みちこ連れて。
 それでなら私が応接間の方へお通り下さいというて、っふやでまぁいろいろサービスを受けましてから、それからこちらのいろんな見本を見せてもらったりして、実は帰ってまいりましたんですけれども。なるほどやはりおかげを受けておられるお店だなということを感じました。その帰りなんです。行きがけは正義さんの車で、帰りは高橋さんの車で、私帰ってまいりました。それであの交差点のところで、混んでおるもんですから、あのう光橋先生んとこにきからこう出てくる道を通ってまいりまして。
 たまたまそのう先生ここが竜さんところですよというて、あのう竜さんところの前を通りました。竜さんはまぁなんか一生懸命泥だらけんごとなってから、なんかしよんなさった。ちらっと目が合ってから、こうやってその向こうも一礼され、こちらも自動車の中から物言うただけでございましたけれども。そこの横をまた前を通ってから、思うてからあぁおかげを頂いたもんだなぁということです。初めてここにご神縁を頂かれたのが十年前でした。ね、それはもう大変人の中に出られんという病気でした。
 人の中に出られないという病気なんです。とにかく不思議な病気があるもんですよね。それがおあのう導きを受けてからお参りをしよるのが初めて。それからいうなら毎日日参のおかげを頂いとるです。皆んなここで自動車を持っとる人は、ほとんど竜さんのところに持って行きますですがですが、それこそ真実一路の人です。仕事その事が。ほんなっこつあるじゃろうかというように、その真を現して仕事に現していく人です。間違いがない訳です仕事に。
 例えばこれは一例ですけれども、ちょっと金額は忘れましたけれどもですね。竜さんのところでは三万なら三万でよいという訳なんですよね。ところが向こうの人はこんな事をしてもろうてから、三万じゃ足らんから五万円払うちゃるわけです。だからこれは私もうそげなこっちゃでけんけん、五万円それをまた無理やりに、それを持って返しい行ちゃる。それをもうその喧嘩腰です。そげなこつはいらん。いやもろうてくれと。とにかく落語かなんかの話の種の様な事が時々あるというような方なんですよね。
 大概のもんならですね。それでま皆さんがなら合楽の方達がみんな、あそこに自動車の修理を持っていくということは、確かにそのうあのうなんちゅうですか、実意丁寧な仕事をして下さる。そして安いからみんな福岡辺からでもなら持っていくんじゃないかと、こう思うんですよね。だから信心をさせて頂いておれば、そういうふうに仕事の上にでも現れていかにゃだめですよねやはり。私は前の工場というのは行った事もないから、分かりません知りませんでしたけれども。
 西鉄の元のなんかそのすぐ沿線の横だったそうですけれども。それがねあのう自分が建てられたお家だった。だからまぁいうなら掘っ立て小屋のようなお家だったらしいです。それをあのうなんですか、塚本というお醤油屋さんの土地で、嫁さんもその塚本さんの仲人でもらわれて、そしてそこに自分で小屋のような家を立ててから、自動車の修繕こわがの事ですから、修繕をぼちぼちされるようになられたのが始まり。去年ですかね今の光橋先生とこのちょっと先の方に。
 元風呂屋さんであった後を買われまして、そこに移られましたが。その時なんかがもう、あの今度西鉄のあの拡張のために、その土地を無償のようにして貸してあったんですよねそこを。だから返やしてくれと言われたところが、そのうどっこいさぁ移るというても大変な金がかかるしねぇ、こまい例えば借家住まいという訳にはいかん訳ですよね。その相手が自動車がやっぱ何十台なと置かれる様なとこじゃないといかんもんですから。それでお願いをされたら、まぁ時期を待て時期を待てじゃった。
 それでもういかにそれこそ神様のような人だそうですね、塚本さん兄弟というのは。けれどもうとうとう終いにはその塚本さんが怒り出しなさった訳ですね。一年経ったばってん動こうとしない。そして最後にその言われることがですね。私は決してお宅にそのよごりおうてなんてんち思うとるとじゃありませんち。けれども合楽の金光様にお参りさせて頂いて、まぁ時期を待て時期を待てと言われるから、実はこうしとりますという訳です。そういうことを言うごたる神様なら私が行ってから言うちゃる。
 というてから向こうからその塚本さんの御主人がここにみえたんです。そして竜さんと塚本さんと私と三人でいろいろお話させて頂いとる間に、あの決してあのう塚本さんお宅にご迷惑のかかるごたる事は致しません。それは私が責任は持ちます。だからどうぞ時期の来るまで待って下さい。先生あなたがそげん言うて下さるならばと言うて、私をまぁこう信用してくださった訳ですよね。それから一月余りしてほんの傍にそういうおかげを受けた。もうそん時の具合なんかっていうものはね。
 もうただほんな事じゃるかという様なおかげでした。私そこんとこ初めてそこの横を通ってです、ついこの頃まで自分で建てた掘っ立て小屋のような家に、親子五人ですかねの者が住んで、そこでまぁ空き地がある訳ですね。普通で言うたら役に立たない様なとこらしいですよ。そこを無償のようにして借りてあったんですから。もう自動車なんかでも雨ざらし日ざらしの様な風にして置いてあったんじゃないかと想像されます。それが例えばあのう風呂屋の跡ですから。
 やっぱりあのう自動車が十台か二十台かち、高橋さんが言いよんなさるけど、それだけはぼうっといっぺんに入るようなお家なんです。それでその二階を全部住まいにして住んでおられます、ちゅうて高橋さんが言われますがね。もう表は立派な大きなシャッターが降りるようになりまして、ここにひととこだけ開けあり中見ましたら、中にいっぱい自動車が入っておるんです。いやぁそのうおかげ頂いたおかげ頂いたちゃ、こげな立派なお家ということは知らなかったんです。
 けれどもおかげ受けたもんだなぁ、おかげ受けたもんだなぁと私、帰り言い続けてまいりました本当にね。してみるとですね、この例えば竜さんの場合なんかのことを思うてみると、とにかくもうまぁいうならば無理非道のようにも聞こえますよね。さぁ家を建てもうのけと言われるのですから。お金がたくさんあるわけじゃなし、というてなら家をやすやすと、そのう修繕工場に使う様な家を貸してくれる様な所がある訳でもなし。もうとにかく家を借りるということの上においても、非常に条件が悪い訳ですよね。
 住宅といったようなのと違うんです。工場がついておらなきゃでけんのですから。だから探す事はいらん。待てよだから探しなっとんせんのち言うて、その塚本さんが言われるそうですたい。そりゃあんたってあんまり言われるもんじゃから、実はこうこう合楽の金光様という、私が毎日お参りさして頂いてこうじゃからと。そういうことを言う神様がおんなら、私が言うて聞かせようというて、まぁ腹かいてみえたんですけれども、ここでおかげを受けておるみんなの姿というなものを、見たりまた聞いたりされてから。
 そんならばというて待って下さる事になって。向こうのいついつというてあった日にぎりぎりにおかげを頂いたんです。もうそん時の金銭のお繰り合わせとかね、そん時の都合の事をいうと思うただけでも、成程これまで待たせて下さらなければでけなかった筈だなという様な事が、次々とあったんですよね。それがですただお参りをしておるじゃなくて、真実一路に参ってみえたということだと思うんです。いわゆる雨が降るから風が吹くからといった様なものではなくてですね、昨日お参りしてみえました。
 いつもご祈念の後に後に皆さんがここで間に合わなかった人達が、御理解をテープで頂いてある頃にいつも参って来ます。昨日もやはりその時間に参って、そしてもう長々としたご祈念をされます。それこそ節を付けてその大祓いをあげられる訳ではない。その祈って捧げられる訳じゃない。ただじっっともう人の何人分でしょうか。もうそれこそ心ゆくまで色々拝んでいかれる訳なんですね。それで御理解って頂かれんです。だからご祈念しながらただ毎日の事ですから。
 やはりご祈念しながら頂きよんなさっとじゃろうと思います。お届けされる具合がですね。ちゃんとその御理解こう段々段々分かっていかれる模様からみますと。昨日も参って来てから言われるとですよ。昨日は先生どうも家の前を通って頂いてから、どうもすいませんでした。もう私があのう本当にあのう早よから思いよりましたけれども、後ろに裏に井戸がある。その横に下水がある。その下水のところがもうあんまり汚のうなっとりましたから、水神さんが汚のうあんなさろうと思うたら。
 もう忙しかったばってんもう矢も立てもたまらんなぁ、もう汚れまわってから泥掃除をしよりましたもんじゃから、あら先生ちらっと見たけれども、そのままお声もかけられずにちゅってからその言われるんです。そして昨日お届けされるとがです、今日はどうもすいません。こんな仕事着のまま参りましてから、もうここ幾日間というものは、もう五分間の暇でも惜しかごと仕事の方が忙しゅうございますと。五分間の時間が惜しかごたる。だから今日はそれでいつもはあのう背広着てこられる。
 やっぱ参ってくる時にちょっと、着替えてきよんなさるもようです。昨日はだから仕事着のまま、こんな格好ですいませんと言うて、まぁその前置きしてから言われる事がです。いわゆる五分の時間でもあの惜しいようなほどにです、今日はおかげを頂いて着替える暇もございませんでしたから、こんな具合にご無礼いたしておりますと言いながら、んならご神前に額づかれたら、もう五分も十分しかない、それこそ一心不乱に拝んでござるという感じです。
 皆さんもよくそのうご祈念される時の姿、に触れられた方も沢山おられましょうけれども。もう実にいんぎんですね、そのお参りの仕方が。私はそういうような私はそのお参りが、十年続きました訳ですけれども。その十年の信心のうちにです。自分でも自動車で走っておる間に、もう有り難うして有り難うして、前が見えんごと有り難うなって来るちゅう。どうして自分ぐらいの者がこげなおかげを頂いた訳だけれども、こげなおかげ頂いてよかっじゃろうかと思うごとある。
 例えてまぁいうなら教えにどのくらい忠実かといった様な事なんかね。ある時にそのどっかだいぶ走ってからだそうですもん。急にそのうお便所に行きたくなったち。それでまた家まで家に帰ったって。そらちょいと降りてから道端ででもね、男の事ですから小便ぐらい出来ん事はないのですけども、家まで帰ったというほどにです。例えば一つの教えにでもそのくらい忠実な人なんですねやはり。ご地内をみだりに汚さん。汚しちゃならんと教えられたら、それを本気で行じる人なんですよ。
 まぁここでもならご信者さんの中でもです、まぁだ影の影の程度のご信者さんですけれどもです、私は今日68節を頂かせてもろうてから、その中川建材店の事から、またはその竜さんの前を通った事の中から、いろいろ考えさせてもろうて、昨日お取次ぎさせて頂いたです。とにかく五分の時間でも惜しいような時でございますけれども、やはりお参りし続けておられるということです。なるほどこれこそが真実一路だということなんです。これならば身に徳を受ける修行ができるということなんです。
 ですから本当に身に徳を受ける修行ということはです、もちろん身に徳を受けていくところに、おかげはですそれに伴のうて来るものでしょうけれどもです、だからここにその辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃとこう言われる。その身に徳を受ける私は修行がですね、徳を受けたい徳を受けなければという、私は信心にあたらなきゃなりませんが、ならば今言うように、雨が降るから風が吹くからということは、一切の上においての雨風だけの事じゃない。
 日常生活の上にこれが雨じゃろうか風じゃろうかという様な事もあるが、そこんところを突き抜くということだけでもない。真実一路ねいわゆる、お参りならお参りがですね、どういう忙しいから事情があるからといったようなところに腰掛けずにです。真実一路そこに向こうてくるという心がね、私は徳を受けるいわゆる修行になるのだというふうに今日は頂いたんです。真実一路というそのことを頂きましてから、私ははぁ真実一路とは、今日の場合そういうようなことだ。
 雨だから風だからこんな事情があるからという様な事じゃなく、そこんところを辛抱して、辛抱し抜いてお参りをしてくるという、そういう信心こそ身に徳を受ける修行じゃというふうに、今日は頂かなければならんと思うのです。最後のところの心経やお祓いをあげるのに大きな声をすることはいらんとか、拍手も無理に大きな音を立てることはいらんとか、人にものを言う通りに拝めとかということはですね。ならその竜さんのように黙って拝んでおくということという意味じゃない。
 例えばね、その拍手そのものがまた大きな声をあげて、大祓いをあげておるその事がです、一生懸命の表現であるね。大祓いなら大祓いを一生懸命奏上する事がです、いわゆる真の表現である場合ならば、もう腹の底からいわばあげなければならんということが分かります。拍手でもですそれこそ偲び手のような拍手ではなくて、やはり澄み切ったような拍手がです、大きく打たれる事が有り難いと思うのです。だからここんところがだからというて、大祓いもあげる事はいらんという意味じゃないです。
 真の表現現れとしての私は大祓いその、ご祈念の態度といった様なものはでなからなければなりません。同時に人にものを言うようにということ。これは不思議ですよね。例えば昨日なら昨日一日が、本当にまともな一日であった。有り難い一日であったと。本当によい信心修行をさせて頂いたという翌日はですね、不思議にもうどんな事でも願われるですね。これはみなさん体験しておられるでしょうか。ところがです例えばなら昨日一日がです、ふしだらであったり四駄五駄であったりしたら。
 御神前に出てそう人にものを言う様にスルスルと願いが出て来ないです。お礼がお詫びが出てこんです。いくらお詫びをしてもお詫びをしても、なんかひとっつも神様に通いよらんような感じがするのです。いわゆる実意丁寧な例えば一日であったというような時こそ、人にものをいうような人にそれこそものいうような思いで、スルスルサラサラとその祈りの言葉でも出てくるもんです。人にものいうように頼めるいわゆる信心が大事だということなんです。どういうことでも願われる。そうでしょうが。
 心安い人ならばちょいと金ば千円貸してくれんのが言えるでしょうが。ところが不義理な人にはなかなか、不義理をしておる人んとこにゃ借りに行かれんでしょうが。相手を信じておるからこそ、ちょっと貸さんのも言えるですけれども。相手がそうでないならばそれが言えないようなものがある。人にもの言うように神様にご祈念ができ、願いができお礼が出来るというようなおかげを頂くためにも、私は真実一路の信心がでけておらなければ出来る事じゃないとこう思うですね。そういうところをひとつ本当に。
 この六十八節から頂きましてですね、もちろんここはこの御理解は身に徳を受ける修行じゃと仰せられる、身に徳を受けるための信心をさして頂くならば、ここん所の雨が降るから、風が吹くからといった様な事で信心をいい加減にする様な、いうならお参りをいい加減にするような事ではねおかげは受けられない。その例をまぁ中川さんにとりましたり、竜さんの日頃の信心振りにとりましたりしてお話をしましたが。それが私はそのうまぁ皆さんの手本になるという様な意味で申したっちゃありません。
 皆さんもそりゃ信心はいわば出来ておられますけれども、まぁそれは例話ですけれどもね、確かに真実一路とはそういうようなものではなかろうかとね、まぁだ他には真実一路というのはございましょうね。けれども今日の場合真実一路ということを頂いてから、この六十八節を頂いたのでございますから、それがどこに当てはまるだろうかと思うて、私六十八節を開かせて頂きましたら、雨が降るから風が吹くから、えらい大儀と思うてはならん。その辛抱こそ真実一路であると私は頂きました。
   どうぞ。